試練と覚悟|連載コラム モテイロコーディネーターへの道|モテイロコーディネーター木村碧

連載コラム モテイロコーディネーターへの道
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連載コラム 第16回 試練と覚悟

前回、余程のことが無い限り・・・私はもう止まらないと書きました。

やっぱり、また余程のことが起きたのです。
2010年の秋、私がワクワクして立ち上がり、最初のステップを踏んだ丁度同じころ、父は発病しました。

検査結果は肺がん。
ステージ4、いわゆる末期がんです。

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何とも言えない虚無感・悲しさ、そして、なんでもっと早く気付いてあげられなかったのかという情けなさ怒り。
色んな感情がはじけました。

数々の波乱を乗り越え、それなりにタフさを自負していた私も、これは非常に辛く、落ち込みました。

まだ、父に孫の顔も見せておらず、なんて親不孝なのだろうかと自分を責めました。
父の余命宣告を聞いてからというもの、私は自分自身の治療のレベルを上げました。

医師から聞いたタイムリミットはわずか8か月。

もしかしたら・・・孫ができたと聞いたら、長生きしてくれるのでは。
そんな期待もありました。
ありとあらゆるコトをして、Aランクの卵が作ることに成功。
(卵にもランクがあるんです。なんだか、自分が養鶏場のめんどりの気分でした・・・)
が、なぜかことごとく失敗。
短期間に集中的に治療をしていた私の体はきっと悲鳴を上げていたのでしょうね。

それでも、カラーのレッスンの時だけはなぜか心がほぐれて、ひと時だけいろんなことを忘れることができました。

そんな中、「今回はいけるかも!」と手ごたえを感じた時がありました。
が、それも夢に終わりました。

あの『3.11』東日本大震災に遭遇したのです。

実は、私は、阪神淡路大震災でも被災した経験があります。
あの突き上げるような恐ろしい揺れを再び思い出し、長い長い余震の日々。
それに加えて、目には見えない原発の恐怖。

食欲不振が続き、体調が悪くなってしまいました。

暗く重い毎日の中、父の人生や、家族のことを考えることも多くなりました。

父は商社勤めから教員になったという異色の経歴を持っていました。
チャレンジ精神が旺盛で、海外赴任も重ね、家族にユニークな経験をたくさんさせてくれました。

頑固なところもあり、母や娘たちに厳しく接するところがあるかと思えば、教え子たちには思いっきり慕われる先生でした。
また、私の母方の祖父、叔父も教員でした。

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思春期は、反発をして「絶対に先生になんかならない!」
両親にそう刃向ったこともありましたが、小学校の卒業文集では「歴史の先生になりたい」と書いてありました(笑)

そうなんです。

私には、人に何かを伝えるというDNAがすでに存在していたのです!

そういえば、父は私がヨメに行く前、「家を改装してカラー教室をしても良かったのに・・・」なんてちょっぴり寂しそうにしてたっけ。

少し体調が戻り、実家の父を見舞ったとき、カラーの講師を目指していることを話すと、病床の父はうれしそうにしてくれました。

もしかしたら、孫の顔は見せられないかもしれない。
でも、想いを紡いでいくDNAを残せたら。

そんな気持ちで、私はふたたび顔を上げました。

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